小児科医の書斎


 小児科医の独り言



診察室の四季: 障害児専門病院の外来中のつぶやき
 
 小児科医の伝言板:子育て中のご両親へのメッセージ

 その他いろいろ (付箋紙


独り言は 上記ブログ版に移行しました
公務員にも民間の経済感覚を導入、、これは良いのだけれど、障害児を対象とした医療はもともと経済性が良いはずがない。受診する病院が無いとの苦情が連日。
最近更新が遅れています。本当に多忙なのです。いつも多くの患者さんと締切の迫った原稿と学会の準備に追われていて、息苦しくなってきました。
体外受精児の長期的な精神発達について数千人規模の追跡調査を始めると新聞記事。今まで科学的な評価や追跡もせずに開業医レベルで行ってきたことの方が不思議だと思う。新生児医療や障害児医療に従事している人は同じ思いでしょう。
医学生にアンケートを採った。出生した子どものうち、障害児となるのは、どのくらい?(知的障害、身体障害、精神障害などの障害者手帳や、療育手帳を交付される子) 回答の平均は1/400くらいだった。(実際には1/50〜1/100)
ある患児のお父さんは、自分の息子の病名をPubMedのMy NCBIに登録して、その疾患の最新文献が自動的にメール配信されるように設定している。そういう時代。
こどもは自らの力で成長しているのに、あたかも自分の関わりで成長させたと勘違いしてしまいやすいのが子どもに関わる職業人(小児科医、リハビリ関係者、教師などなど)。過信への戒めとして。

病棟回診した後で研修医と入院患者の話をしたら、今日初めて見る患者さんなのに名字と名前を覚えている。毎日回診しているのに時々名前を思い出せない自分の頭の衰え、、もう新しい外国語は無理だろうか。
今日読んだ新聞記事の中の数字。職業別従事者数:自衛隊員27万人、警察官26万人、医師26万人。産業の比較:葬儀産業15兆円、パチンコ産業30兆円、国民の総医療費31兆円(1年あたり)。
インターネットで送料無料で本が注文できるようになって久しい。自分もほとんどの書籍をネットで注文している。その影響か、こどもの本の専門 店が減っている。子どもにとって本当によい本を選んで紹介してくれるお店が減っているのが淋しい。
100万部売れるようなベストセラーが良い本であるはずがないと、某読書好きの高校生の話。本当に良い本は読む人を選ぶ?
4月1日生まれの子は、3月生まれの子と一緒に上の学年に入れられる。幼稚園では、4月生まれの誕生会で、6歳おめでとうの中で1人だけ5歳になったばかり。4月1日生まれの子どものことを考えて作られていない制度であることは確かです。(民法の規定だそうです)

過去のメールを整理していたら、一日100通のスパムメールの中に埋もれて1年半前の大切なメールを発見。

 好奇心、Curiousity は良い意味で好きです。英語の有名な絵本で好奇心の強い猿の子が主人公の、Curious Georgeのシリーズがあります。邦訳は以前は「知りたがりやのジョージ」だったのですが、あまり使われない日本語なので、最近は「おさるのジョー ジ」になってしまい、Curiousが無視されてしまいました。こどもの成長を促すには、好奇心に訴えることが一番だと思うのですが。 
 自分も好奇心の強い方だと思いますが、さすがに人生の半ば近くなってからは、何もかも中途半端で収拾がつかなくなってきました。好奇心を整理しないとい けません。

勤務する公立病院に人事評価制度が導入された。評価を昇進や給与に反映させるとか。で、、部下の評価を記載していたところ、、「今年はその人 は昇進の年だ から○○点以上にしてください」「その人は昨年昇進したところだから○○点以下にしてください」と事務部門から連絡があった。制度を骨抜きにして形式だけ 整える役所の やり方を見た。
妊婦さんが集まる母親学級で、障害児が生まれる可能性について話すかどうかについてのアンケート結果。
 大部分の人に関係がないから話さないという産婦人科医の回答と、誰もが当事者になりうるる問題だから、できるだけ話すという保健師の回答。

有名な研究者二人に別々にメールを出した。返事が二人とも翌日には届いた。その発信時間が朝の5時台と6時台。一流の人は早起 きです。
人を殺すために生まれてきた人はいない。どんな犯罪者にもそうなった原因がある。あんなおとなしい子が何故、、というような少年犯罪は、厳罰 にしたからといって減るものではない。という意見を書いたら、、老子のの性善説、性悪説を持ち出されてがっかりした。善悪二元論で人は語れない。
今どきほとんどの人が受ける心臓の手術を受けずに、ダウン症の子が6歳で亡くなった。愛情に溢れるその家族の写真が某生命保険会社のコマー シャルに使われて話題になった。スポンサーが生命保険会社だけに、その真意を深読みしてしまう。
人は正常と異常の間に線を引きたがる。しかし正常と異常は連続したものです。連続したものをたくさん見ていると境界線を引くことの無意味さが分 かってくる。
癒し系だね! っていわれる人でも、本当は自分の方が癒されたいと思っているかも知れない。癒し系の人に、癒し系だねって言わないことにし た。

中国はアメリカになろうとしているような気がする。なってほしくない。
子どもは自ら成長するんだなと、いつも思う。こどもたちや障害児こそが社会や人間のあり方を教えてくれる先導者だといつも感じる。毎日外来で 子どもを見ていても、毎日のようにそんなことに感動している。

学会会場で横10人分並んだ椅子の真ん中近くに必ず座る先輩医師がいる。端の席を空けておいて、後から来た人が座りやすいようにという気配り だったことに最近気づいた。好きなときに会場から抜け出せるうになるべく端に座るようにしていた自分を恥じる。
けいかいした、さいけんする、ようちゅういです、いらいせんをかきます、じょうちゅうする、てんいんしましょう、にょうけんでは、じけつをしらべます、 ねっぱつしたら、、。医師は日常的に口にするが患者さんは聞いても分からない言葉、、、気をつけなくては。
渡米したその日に、「何か困ったことがあれば言ってくださいね」と近所の人たちがプレゼントを持って新居を訪れた。日本では転入した人が隣人 に粗品を配ってあいさつするのが常なのに、、と留学した先輩Drの話。帰国後そのDrは医局の枠にとらわれず多くの研修生を受け入れて若い人を育てること に情熱を燃やした。自分もかつての研修生の一人。
勤務する病院を8回変わった経験は自分の財産。公立病院、国立病院、企業病院、医療法人病院など、その組織の特色があって面白い。共通点は時間外手当のない病院(県立病院、国立病院)の方が、時間外勤務が多いこと。

ドクターハラスメントという言葉があるそうな。あるだろうなと思う、毒ハラ。1%の医師が毒ハラ問題の5割を占めているのではとも思う。先生と呼ばれる職業は自浄作用がなかなか期待できない。
新聞や本のように寝ながら見られるインターネット端末があればもっと早くベッドに入れると思 う。
某新聞の記事から: 「ゆとり」とは「思いを巡らせること」。ふとした瞬間に、なにかに思いを 寄せたりする時間と感覚が持てること。そういう時間が大事。
会議が増えて、、議事の整理をパソコンから、久しぶりに大学ノートに変えた。これがなかなか良 い感じ。

他人に期待するから腹が立つ。これっぽっちも期待しなければ、腹は立たない。いいかげんな人とつき合う時の信条。

司法解剖の誤診で小児虐待事件が闇に消えることもあれば、司法解剖の誤診で医師や児童相談所が 訴えられることもある。司法解剖の誤診で悲しみのどん底の突然死の子の親が警察に取り調べをうけることもある。子どもの経験の少ない司法解剖医による赤 ちゃんや子どもの診断が100%正しいはずがないのに、司法解剖が絶対のように世間では思われている。そのチェックシステムと専門家の養成が要ると思う。

鉄腕アトムの生誕日に、アメリカイラク戦争で多数の市民が犠牲のニュース。子どもの時夢見た21世紀は輝いていたのに。

乳児突然死症候群の診断はとても難しい。通院中でもなく、死因がわからない死体はいろいろな角度から検討しなくてはならないので、一応警察にも連絡する。あるご両親は、子どもが突然死したその日に、夫婦別々に夜遅くまで警察で取り調べを受けた。警察の職務とはいえ2重のトラウマ。
ひとり旅の宿の酒場のカウンターで、隣の見ず知らずの人に自分の過去や自分の本当の思いを訥々と話す、、、。遺伝相談もそれに近い。面識もな い、これからも関わることもないカウンセラーだからこそ、誰にも言えないことも話せる。
某所での話。無駄な会議を減らして効率のよい議論ができるように、メーリングリストでディスカッションする計画を建てた。いざ実施しようとし たら、メーリングリストに投稿する文章は部長の校閲と決裁を受けること、という条件が付いた。
少年犯罪に厳罰化の声、、、、、、、、でも犯罪を犯すために生まれてきた子はいません。
虐待する母親に厳罰化の声、、、、、、でも、こどもを虐待するためにこどもを産んだ人はいません。

某大学から電話。遺伝子治療をするのに、遺伝カウンセリングがやってないと倫理委員会の手続きが進まないから、やってもらえないかと。うーー ん、、そうい うものじゃあない、、。
胎児を先天性疾患で亡くした方が、「どうして私だけが、、不公平だ」と言ったという話を聞いた。いや、世の中で最も公平なことだとつい反論し てしまった。地位、貧富、学歴、地域、国籍、何にもかかわらず誰もが一定の確率で当事者になり得ます。
電話して「何の用?」と聞かれたら、友達、恋人関係は終わっている。用が無くても電話したくなる関係になりたい、、、と某辞書の宣伝文句。よ い辞書は用が 無くても読みたくなるし、悪い辞書はせっかく引いてもがっかりする返事しか返ってこない。ホームページもしかり。


職場のなけなしの予算でネットワーク用のコンピュータを10台購入。ソフトだけで40万円もマイクロソフトの財布に入ることにため息。ブラウ ザを NetscapeとOperaに変えてささやかな抵抗。
日本は医療保険制度の下でも患者が病院を自由に選べる数少ない国。なのにその恩恵を感じている人は多くない。ただ自由に選ぶための正確な情報が乏しい。
最近、この「独り言」の書き込みが少ないね、、、と言われた。身近な感動が減ったのかな、老化かな。
最近耳にする「在宅介護」。老人の数がピークを越えた先を見込んで福祉施設を作りすぎないための方策である、と某行政関係者の講演で。ちゃん と将来を予測して作るのですね、、ダムや高速道路のことが頭に浮かんだ。
今、凝っている中国のお酒。数ヶ月毎日飲んでいると体になじんでくる。厳しい冬や油を使った濃厚な料理を思い浮かべながら飲んでいると、いつ かはかの地で 飲んでみたいと思う。
名古屋市のホームページから4つの姉妹都市へのリンクを開いて驚いた。南京市、メキシコシティ、ロサンジェルス、シドニー、どれもその洗練さ れたホームページの美しさ。名古屋市だけなんとショボいこと。ホームページの質で見る限り、、日本はずいぶん遅れている。
後日記:役所の硬直したシステムでは新しいことに予算を立てにくいそうです。ただ、いわゆる特殊法人だけはどこも立派なホームページを持っている。
こどものこども、つまり孫が認識できる動物は人間だけなのだそうだ。孫が認識できなければ起こらない親族内のトラブルをしばしば耳にする。
最近生まれてくる子の100人に1人は体外受精などの生殖医療技術を使って生まれる。昔は試験管ベビーと言った。

最近むお酒はほとんど焼酎。10年前に熊本で、通りすがりの酒屋に紹介してもらった居酒屋で飲んだのが始まり。そして焼酎に詳しい酒屋を見つ けて、世界が広がった。美味しいお酒との出逢いは、、人との出逢いに似ている。
外来の診察室でぐずる3歳の子を落ち着かせるのに、ぬいぐるみのお人形とトランプのカードと、どちらが効果があると思いますか。
紫式部の時代は、恋人がいま何をしているかと、いつも思いを巡らせていた。ケータイとインターネットが身近な今日、いつどんなときでも相手の 所在を確認できてしまう。便利だけど、ほんのしばらく連絡がとれないと人は不安になる。情報メディアによってもたらされる新たな不安。それから逃れるため に南の島に行きたくなる人もいるという。
ある妊婦向け雑誌の編集者と話す機会があった。出生前診断を受けて障害のない「完璧な子」を産むのが流行りなのだそうです。でも実際は出生前 診断で発見できるのは特定のほんの一部の疾患であって、だれもが一定の確率(1〜2/100人)で障害を持った子の親になる可能性があるです。どんな場合 でも受け入れる心の準備をする方が、それからの人生がどんなに有意義になるかを思います。

北京で5つ子誕生の話題。中国の未熟児や障害児も日本の10倍いるはずだけれどあまり様子が伝わってこない。どうしているのか気になる。
発達の遅い子や知的障害のある人がその人の能力を最大限に発揮できるように、自分はこれができるんだという「自尊心」を持たせることはとても大切なことで ある。だから「自尊心」という言葉ににポジティブな語感を感じていたが、「自尊心が故に他人の意見を聞けないエリート」など、ネガティブな意味合いで使わ れることも少なくない。友と話していてそんなことを感じた。
ほんの10年前まで、医療費の一部負担金は、大人(健保本人)のが0%で、子どもは3割だった。今年から大人3割、こども2割、乳幼児0割。 選挙権もなく て献金もできない子どもにも、やっと眼を向けられるようになったのが嬉しい。
決断とは捨てることである。部屋が散らかっている人のほとんどは決断の遅い人である、、とある書物の言葉。捨てる勇気が前に進むためには必要 なこともあ る。
10数年前にアメリカのショッピングセンターの駐車場で、どんなに混んでいても身障者用のスペースが必ず空いていることに驚いた。後からかの 地では罰則がとても厳しいから皆規則を守るのだと聞いた。最近日本でも身障者用スペースに不法に駐車する人は減ったと感じる。日本では特に罰則は無いのに もかかわらず。
アフガン空爆が始まった週、県の衛生研究所から毎週送られてくるWHO疫学週報に、アフガニスタンでコレラ流行約4000人罹患約400人死 亡の記事。
新生児科医が小児科医院を開業すると、どこも評判の良い医院となって患者さんがあつまる。どんな小さな赤ちゃんにも人格を感じて、物言わぬ乳 児の心が読めるからだろうと思う。
ある男性心理カウンセラーの話が雑誌に載っていた。彼の悩みは、ここ一番で相手の女性を口説き落とせないことなんだそうだ。身に付いたカウンセリングマインドのせいで、けっして自分の価値観を押しつけず相手の自己決定を尊重するあまり最後の一押しが口から絶対に出ない、、。
老人ホームでは、大部屋にいる人より個室にいる人のほうが社交的になれるのだそうです。大部屋だと、個人の生理的現象さえも相手にわかってし まうので、知らないふりをして心に壁を作って生活するのだそうです。プライバシーが守られて初めて他人と良好な関係が築かれる。
ある小児保健の論文の著者は、保健所長が小児科医ではないことが問題だと書いていた。今日読んだ精神科医が書いた書物は、保健所長の多くは精 神科医ではな いことを嘆いていた。私の知り合いのの公衆衛生学の教官も、保健所長が公衆衛生学の専門医でないことを嘆いていた。
新生児科医だったころ、染色体の疾患を両親に告げる時、口の中が乾くほど緊張した。重度仮死の子の場合はそうでもないのだけれど。今思う と、、自分も知ら ないことが多かった。
新生児や乳児の診察は経験を積んだ小児科医でなくてはできないように、乳児のの司法解剖も小児の経験を積んだ法医学者でなくては困難であろう と容易に想像 がつく。現実は子どもをほとんど診たこともない法医学者が乳児の司法解剖を行っている。不適切な司法解剖で闇に葬られている小児虐待事例はまれではないと 感じる。
箱形ブランコで幼児が死亡した事故で初めて警察が管理者責任の立件に動くとの新聞記事。これだけ死亡事故が続いていたのに小児科関係の学会や 団体が今まで何もしなかった責任もあるのでは。1歳から15歳までの死亡原因の1位は事故なのだから。
オンラインチャットで紫式部の映画の話をした。思いを手紙にしたためて渡した平安時代と、いつでもどこでも相手と連絡が取れる現代と、どちら が熱い想いが 相手によく伝わるだろう。。
胎児のダウン症を妊娠中に診断できなかったために中絶する機会を失ったと、産婦人科医を訴えた訴訟があるそうです。その人は今、どんな風にこ どもに接して いるのかと思う。
公共事業というと西欧ではまず連想されるのは福祉のことだそうです。日本では道路河川土木工事ですね。西欧では福祉関係に従事する人が人口の 10%、土木 関係に5%、日本は逆だそうです。だから西欧では景気が悪くなって失業率が上がると、失業対策として医療福祉にお金を注ぎ込むそうです。老後が安心なら消 費も増える。日本では失業対策は土木建築で景気が悪くても道路ができる。さて将来は。

 国民の医療費が医師や看護婦など白衣の人の懐にだけ入るとしたら、医療費の増大に国民が反対するのは当然。失業対策的な意味合いのある西欧 の医療費とは 単純に比較できない。

 ある遺伝学の講習会でのこと、、大人では治らない疾患に無駄な検査や治療はしないのに、なぜ先天異常の子にいろいろ検査するのかと一人の外 科医が質問し た。帰路、内科の同級生が、、治らない病気を診る小児科の医者は大変だねとねぎらってくれる。どちらも強い違和感を感じる言葉でした。治そうとか、治らな いとかっていう感覚が無いのです。その子にとって一番よい環境は何か、どう伸ばしどう育てるか、何が必要でどうサポートするかという、「育てる」「成長を よろこぶ」のが小児科医かなと感じます。
 先天奇形症候群や染色体疾患のこどもの診療をしています。医学書と同じくらい役に立つのが、欧米の患者さんの会のホームページです。医学書 には体の特徴 や合併症については詳細に書かれていますが、生活の中での問題点、たとえば小学校に上がる頃に集団生活の中で気をつけることは何か、、は書かれていませ ん。患者さんの会のHPには、生活の中で必要な情報があります。日本もこれからです。
十数年は少子化が進むから小児科医は失業すると言われていました。ところが子どもは原則として小児科医が診るようになった今では小児科医不足 です。学校医 や乳児検診などが本来そうであるべき小児科医に任されるようになればもっと需要は増すでしょう。

 生来自分はアバウトな人間である。朝寝坊であり締め切り間際まで行動できず、かつ忘れっぽいいい加減な人間であると思う。だから自分にも他人 にも、期待したことの6割できていれば満足する60点人間である。このいい加減な性格が役立つこともある。まず、中途半端な人に腹が立たない。小児科の外 来で散見する怒りっぽい親、切れてしまう親に不思議に腹が立たない。さえない研修医にも平気でいられる。ただ、、、自分の上司には今まで迷惑をかけてきた であろうと容易に想像はつく。


 高速の常時接続回線が職場の机で利用できる環境が4年間続いたあとに、インターネットが全く利用できない公立病院に転勤しました。頭に浮かん だ疑問をすぐにインターネットで調べるという習慣が身についた自分は、体の一部を失ったような不自由さを感じ仕事が進みません。インターネットをメールの 手段や娯楽の一つとしか理解されないとしたら、なかなか導入は進まないでしょう。


 障害児という言葉、「差し障りがある」「害がある」という語感があるので抵抗を感じる人がいます。同様に「異常」という文字が入る病名が自分 の子どもについたらいい感じはしないでしょう。染色体の疾患を持った子の親の会で、「染色体起因しょうがい児の親の会」という会があります。なぜこの名称 になったかを最近理解できるようになりました。(2001.3)


 もう新生児医療に戻ることはないのでタイトルを新生児科医から小児科医に変えました。同世代の新生児科のDrを見ても、システムの確立した3 次施設で新生児科医を続けるか、きっぱりと新生児医療と離れて開業してしまうかどちらかを選択しています。新生児医療が分かる人は中途半端な新生児医療が もたらす害が分かるのでしょう。


 子どもの虐待の問題に関わるようになると、必然的に病理性のある母親とも接するようになる。小児虐待の予防は子育て指導の延長のようにしばし ば語られるけれど、精神病理の知識がなければ対応できないケースも少なからずあって、精神科の関わりもかなり重要だと感じる。


 麻酔科が独立せず外科の一部だったら麻酔学を専門とする大学教授はいなかっただろうとの話を聞きました。論文のimpact factorでメジャーな科にかないません。小児科の中で新生児学を専門とする教授は国立大学では2名しかいないそうです。


 境界例について書かれた某精神科医の書いた書物を読んだ。乳児期の母親の子育ての問題点についてかなり分析的に書かれているが、新生児を専門 としてきた小児科医の目から見ると、あかちゃんは全くの白紙で生まれてくるわけではなく、生後6ヶ月ですでに個性がある。おそらく生まれたときから、いや 受精したときから個性があるのであろう。子育てにその原因を置きすぎているのではと小児科医としては感じる。


 遺伝関係の学会に参加した数日後に新生児学会に参加して、平均年齢の若さに驚いた。小児外科、産科関係者と比べても新生児科関係が一番若い人 が多いと感じる。若い人に人気があると言うことなら良いのですが、年を取ったら働けないと言うのであれば残念なことです。


 最近は10代の母親が多いと感じます。彼女たちは同じ世代の母親の友達が少なくて孤立しがちです。低出生体重児のいる家族には制度的に保健婦 さんから連絡が入るようになっていますが、未成年の未婚の母の場合も制度的なサポートがあってもよいのではと感じます。


 新設の周産期センターは一般小児科から独立した形で、理想的な規模やスタッフ数でスタートしますが、1970-80年代に作られたNICUの 多くは総合病院の中にあってスタッフは一般小児科と兼務のことが多いです。新生児当直をもさせられる一般小児科医は赴任を希望せず、1人の負担が大きい新生児科医も赴任を希望せず、結局人材難に陥っているようです。


 ターナー症候群(最近はターナー女性という)が新生児期に発見される率が諸外国に比べて日本は低いそうです。2000人に1人の割合なので本 来大病院なら1-2年に1人の割合で見つかる計算です。新生児検診を研修医が行うことが多いからか、足背の浮腫などがチェック項目にないからだろうか、そ れとも人種的に東洋人は新生児期の症状が少ないのだろうか。必ずしも早期発見が望ましいと言えない面もありますが、成長ホルモンの保険適応が通ったので新 生児期の発見の重要性も増すでしょう。


 欧米への留学から帰った人の話で、留学先の病院では新生児の静脈確保をするナース、L-cathなどの留置カテを入れるナースは、給与に手当 が付くそうです。一定数の経験を積んだ看護婦に病院がCertificateを発行し、それが給料アップにつながるので、競って静脈ラインの確保にトライ するのだそうです。看護婦が何もやってくれないと嘆く前に、制度的なメリットが必要では、、。新生児科医の勤務の現状を問うアンケートが届いて、そんなこ とを思い出しました。


 小児虐待のネットワークで虐待症例の担当者は、マークしていた子どもが最悪の結果になった場合には、何もできなかった自責、無力感から精神的 なダメージを受ける場合があります。そのような人のための癒しのプログラムもできていると聞きました。NICUのスタッフも、刻一刻と病状の変化する赤 ちゃんを相手に全力で戦った後、児の結果によっては同様のダメージを受ける場合がありますが、そのための癒しのプログラムなどあるのでしょうか。


 新生児医療の急性期は、児に関する情報を圧倒的に持っているのは医師。親は医療スタッフの説明を聞いてこどもの状態を知ります。1ヶ月も経つ と、毎日数時間しか面会していなくても、お母さんは1000gにも満たない赤ちゃんの状態を感覚的に理解していて、赤ちゃんの状態をお母さんから指摘して いただくこともしばしばです。


「小児科」を辞書(三省堂大辞林)で引くと「医学の一分科。子供の病気を専門に診療・治療する。」とあります。 Pediatricsは Websterの辞書では'a branch of medicine dealing with the development, care, and diseases of children' と成長発達や子育ての概念も記載されています。日本語の「小児科」よりも対象が広く、こども全般に対する責任も感じられます。


 カウンセリングの実習を伴う講習会にに参加した。振り返って研修医の頃はカウンセリングのトレーニングなど受けたことがない。当時の患者さん とのやりとりを思うと冷や汗ものである。カウンセリングの教育が医学教育の中にあっても良いのではないかと思う。


 医療は不完全な商品だそうです。医療は100%のない世界です。治癒率80%などという治療法もしっかりお金をとって行われます。一方10台 中9台は正常に作動するなんていう機器は商品として存在しないでしょう。しかしお金を払う方は100%を期待する。そのギャップを医師も患者も認識してい ないとトラブルが起きます。


 子どもの虐待防止関連の医療関係者向け講習会に参加してきました。小児科医の怠慢がもっと指摘されるべきだとの意見あり。虐待で死んだこども たちは一度は小児科を受診していることが多いのです。小児虐待は再発率60%、致死率も高く、一つの疾患単位として認識すべきです。けいれんの患児を見た ら必ず脳炎を鑑別するように、外傷、火傷、低身長などの鑑別に常に念頭に置く疾患です。手弁当で子どもを救うために尽力している弁護士の方々を見ると、小 児科医はもっと関わるべきと痛感しました。
 虐待を疑った例を児童相談所へ通報する義務は、医師の守秘義務より優位であること、誤通報の場合の免責のこと、児童相談所が動き出しやすい診断書の書き 方などの法的な解説はとても新鮮でした。


 ダウン症の赤ちゃんが出生したときに、いつご両親にその事実をお話をするかという問題があります。万人にベストな時期と方法はありませんが、 親の会などのご意見で共通しているのは、緊急性がなければ出生後しばらくはダウン症のことを知らずに赤ちゃんを抱ける期間が欲しい。(父親だけではなく) 両親そろっての説明をして欲しい。説明はマイナスイメージの羅列ではなくて、実際の生活の様子や親の会のなどを教えて欲しいというものでした。


 妊娠中に、自分の赤ちゃんに障害があったらと不安になる人は少なくありません。身近に障害児(者)がいない人が、障害児のことを一番身近に感 じる時ではないかと思います。障害児者のことをを自分のこととして考えることができる好機ではないでしょうか。親となる人すべてに妊娠中に一度はそのこと 考えてみて欲しいと思います。


 新生児科医は、障害を持って生まれた子の母親に最初に説明をする立場にあります。最初の一言は将来まで計り知れない影響を与えます。どんな場 合でも最初の一言は『おめでとうございます』です。出生を望まれない子がいるはずがありません。産科、新生児科の医師は説明する前に必ず『おめでとうござ います』と言って欲しい。


 がんばる、がんばれ という日本語は日常よく使われますが、実はとても曖昧な無責任な言葉です。病院でもこどもや親にに対してしばしば投げか けられる言葉です。しかし言われた人はどうしたらよいのでしょう。つらい思いをしている子や人ににガンバレというのは、何か無責任のようなものを感じてし まいます。「がんばる」という言葉を使わないと、それに置き換わる言葉はすぐには出てきませんが、別の言葉を探すことがむしろ相手の立場で考えるきっかけ になるのではないかと思います。


 『五体不満足』を読みました。著者が生まれたとき、一ヶ月もの間赤ちゃんを母親に面会させなかったそうです。最近では、こどもに関する情報は 父母が等しく受けるのが望ましいとされ、このようなことは減ってきていると思います。


 新生児医療は、ほかの一般の医療行為、たとえば下痢の治療とか肺炎の治療などに比べてその医療の内容が全国各病院間で差が少ないような気がし ます。一つには、指針となる良いマニュアルが存在することと、対象が限られているので一つ一つの医療行為に対して科学的な検討が加えられやすいこともある でしょう。昨今Evidence Based Medicineと言われる科学的事実に基づいた医療がすすめられています。Common deseaseにおいても普遍的な最適の治療方法の検討が急務でしょう。


 赤ちゃんが産まれて母子ともに退院するときにお母さんに渡すパンフレットはどこの病院でも用意しています。産後の体のこと、赤ちゃんのケアの こと、夫婦生活のことなどについて詳しく書かれています。でもお父さんに渡すパンフレットを見たことがありません。赤ちゃんと始まる新しい生活の中で父親 がどのように関わるのか、父親への情報提供は少ないようです。父親向けのパンフを作ろうかと思います。(99.3)


 ある病院では、給食を和洋中3種類用意して患者さんが選べるようにしています。以来給食に対する苦情は激減したそうです。自分が選んだものは 否定的な評価を与えないという心理学的な効果があり、美味しくなかったときには、病院を責めず自分の選択にそれを帰するからでしょう。マッキントッシュが 5色で発売されました。自分が選んだ自分のマックに愛着を持たせるうまいやり方だと思いました。 


 急激にライフスタイル変わるこの30年ですが、子育て中の母親の負担は30年前とあまり変わらないのではないでしょうか。こどもが病気になっ たときの仕事を持っている母親と接していると強く感じます。保育所の充実も大切ですが、むしろ母親の働く職場の環境や意識の方を変えないと働く母親の負担 は全く軽減されません。


 私の現在の職場環境から判断する限り、公務員は夫婦共働きには恵まれた環境です。世界規模の某自動車会社は女性職員の平均年齢が20歳代。こ れは結婚したら辞める、こどもが出来たら辞める『しくみ』がなくては出来ないことだと感じるようになりました。


 新生児医療が嫌いになって新生児医療を離れる人は少ないのではないでしょうか。時間的、肉体的、精神的負担、家族への負担が少なければもっと 希望者も続投者も増えるのではないでしょうか。最近は新しい小児科医の半分は女性です。一握りのスーパーマンしか出来ない医療体制のままでは、新生児 医療の将来が不安です。


新生児医療の現場であるNICUは、たいていどの病院でも病床利用率が一番高くて新生児科部長は院長から誉められる。退院の日を自在に設定で きるからでも ある。

 よく本を読む小学生は、本の中で得た知識では現実の学校の世界で起こっていることを理解できず苦しむようです。今日の小学一年生の患者さんの お母さんの話です。本の中の世界と学校の世界があまりにもかけ離れている場合、本の世界を否定するか、学校を否定するかお母さんは悩んでいます。


 春になると病院の院内報に新入職員の自己紹介載りますが、退職した人のメッセージをあまり見かけません。某夕刊の故人の追悼文や遺稿を紹介 したページを見て思ったのですが、新入職員の自己紹介文が、『頑張ります』的な画一的なものが多いのに対して、辞めてゆく人のメッセージは、示唆に富んだ 味わい深いものが多いと思います。病院は入れ替わりの激しい職場だけにもし自分が編集委員になったらそうしたいと思います。


 『新美南吉記念館』に行って来ました。南吉が教師だった頃作ったクラス文集や詩集が展示されています。いまの小学校や中学校でも、文集や詩集 を作っているのでしょうか。私も文集を作った学年だけは記憶が鮮明です。


 障害を持った子が日常的に入院している病棟では、『かわいそう』という言葉はほとんど聞かれなかったのに、障害児がほとんどいない病棟にたま にハンディのある子が入院すると「かわいそう」という言葉がスタッフの間から聞こえる。私もいつの頃からか『かわいそう』と思わなくなっている。


『こどもが好きなんですね』 これはある会社で、結婚してこどもができて退職する女性の従業員に周りの社員が贈る言葉です。『こどもが好きじゃ ないんですか』 これは妊娠しても退職しない女性従業員にみんなで投げかける言葉だそうです。この会社には子持ちの女性社員はほとんどいません。


 ら抜き言葉が若い人の間で広がっているそうです。食べれる、見れるなどなど。小児科の診察室で子どもの食欲を『ご飯は食べられますか?』と尋 ねると、親が『はあ、うちでは和食です』。こんなとき『食べれますか』とたずねると、こどものことと理解できる。よりシンプルに誤解が生じないように言葉 は変遷するのでしょう。(98.7)


 先日、いつもお世話になっている20歳年上のドクターの奥様と雑談する機会があった。日本語会話ではほとんど二人称代名詞を使わないので、複 数の相手の中でその方をどう呼ぶか適当な言葉が無くて困った。「あなた」は、英文和訳の解答以外にはふだんの会話で使われることは少ないし、目上の方(常 に上下関係を意識しなければ日本語は使いにくい)に使う言葉ではない。「○○先生の奥様」などという言葉は失礼であろう。○子さんと言えるはずもない。 さあ、なんとお呼びしたらよいのであろう。医師だけの集団であれば、とりあえず「先生」と呼べば良いので楽である。医師や教師、弁護士などが、お互いを 『先生』と呼び合っている様子は異様です。しかし上下関係を問わず使える便利な二人称代名詞であり、これに相当する誰にでも使える二人称代名詞が日本語にあ ればどれだけ便利だろう.


 最近、紹介状の返事がファックスで届くことが多くなってきた。封書が切手80円+封筒+便箋であるのに対し、ファックスならほぼ10円の基本 料金でリアルタイムに届く。秘匿性の問題以外、経費、迅速さの面で後者に軍配が上がるのは明らかです。ファックスで送ってくる病院は、独立採算で経営して いる医療レベルの高い病院ばかりであり、国公立病院はほぼ全例封書である。経費や時間に対して敏感で、組織が柔軟なところはファックスで、その逆のところ はまだ封筒のようである。紹介状の返事を見ていると組織の特徴が見えてくるようで面白い。(98.2)


 中学校の同窓会で隣に居合わせたひとりは警察に勤めているという。聞くと最近の仕事は某医師を医療機器メーカーからの収賄で起訴したこと。な んとその医師も同級生である。まだまだやるから気をつけた方がいいと。→本当でした。


 近くのある小学校では、全員に一輪車の練習をさせて、全校で一輪車大会をする。ある幼稚園では、皮膚の鍛錬として冬でも全員上半身裸、裸足で 運動場で遊ぶことにして、それをウリにしています。私たちがふだん診ている極低出生体重児あがりの子どもたちにはそのようなところでは結構つらい思いをす ることがあるようです。個々人で行う場合は特に問題のない健康法でも、全体で行う場合の病弱児の肉体的、精神的負担はどうでしょうか。(98.1)


 よく、風邪をひいたこどもの親からお風呂に入れていいかどうか尋ねられます。有熱時にお風呂入れることの可否は、医学の教科書にも書いてあり ません。有熱時にお風呂に入れた群と入れなかった群で予後に有意差がなかったという研究データがあると昔先輩から聞いたことがありますが、その出典は知り ません。外国人の親など、熱があるから子どもをぬるいお風呂に入れたとか、風邪を引いたので風呂に何回も入れたと言われることもあります。医学よりも文化 の問題かもしれません。ちなみに私のこどもは熱があってもたいていは風呂に入れています。(97.12)


 昨年、ちょっとした事から医学的な検査を受けた時のことです。検査報告の行き違いで、ある難病をを疑われ、2日間だけでしたが死が身近に迫る 体験をしました。説明しがたい漠然とした不安。頭は空虚になり、ふと全身に冷や汗が走り、夜は突然目が覚めました。後に検査報告のミスによることが判明す るまでの2日間、、、、これは得難い体験でした。医師の一言の重みも感じました。 真っ先に思いが巡ったのは家族のことです。あれほど仕事に没頭していた のに、仕事のことはしばらく頭から消えていました。残された時間をどう過ごそうかと思いました。でもこれはいつかは経験することなのでしょう。今回の体験 で、今後の人生における決断が若干早くなったのではと自分で感じています。


外来の待合い室で「言うことを聞かないと先生に注射うたれるよ」という叱り方はしないでください。罰の道具ではありません。子どもも何故いけな いのかわかりません。


 愛知県の国府宮市では2月にはだか祭りがあります。毎年多くの厄年の方が厄払いに行きますが、この「厄」という言葉、どうもなじめません。元 来、日本では病気や災害、死を厄として遠ざけてきました。災害などは少ないほうが良いですが、病や死は避けて通れるものではなく、むしろそれに目を向けな いことが病気に対する無理解や偏見を生む素地になっているかもしれません。病人や障害児は「厄」なのでしょうか.





作者: 水野誠司
LAST MODIFIED 2009.11.12