診察室の四季  

2007年11月11日
自治体によって、ダウン症の子の通園、保育園の入学についてこんなにも差があるのかといつも感じる。
2007年11月11日
 民間の幼稚園でしばしばある対応として、ダウン症の子を一つ下の学年のクラスに入れるという対応。
 他のこどもたちが、「成長発達が遅い子は自分とは別の下の学年」という意識の持ち方になってしまわないだろうか。成長発達が遅くても同じ年に生まれた同じ仲間という意識は育つのだろうか。
 同じ学年だけどサポートための保育士が彼のために就くという公立保育園のほうが好きだな。
2007年11月2日
ずっと多忙で余裕が無くて、、更新が半年ストップしていました。
2007年2月24日
 前を通りかかったある診察室の会話が聞こえてきた。医師が発達検査の結果を説明するときに、「発達指数は95です、、良かったですねぇ、、」「検査結果は大丈夫です、自閉症の傾向はありません。」「残念だけど 、、」、、などと声が聞こえてくる。 発達指数に良い悪いの価値観をはさむこの説明には、非常に違和感を覚える。
2007年1月24日
染色体異常の子は元々体質的にからだが小さいのに、栄養が足らないから身体が小さいとと誤判断されて注入用の濃い栄養剤を飲まされて下痢が続いていたり、お母さんの飲ませ方が悪いと言われたりしている子をしばしば見かける。
2006年11月20日
愛知県の知事選が近づいてきて、2大候補のマニフェストが公表された。最近は福祉や障害者政策は争点にならなくなってしまった。障害児を代弁する政治家や知事候補が最近はいない。
2006年11月20日
16歳の某症候群の女性のお母さん。0歳の時にミルクの飲みが悪くて体重が増えないときに受診した病院の小児科医に、「お母さん、この子を他人に預けて遊び歩いているんでしょう」と言われたと、その時の思いを昨日のことのように話してくれる。それがトラウマとなって現在まで、、、15年間小児科にはかからなかったと。
2006年10月30日
地元の親の会には入っていないけど、ネットで知り合った同じ症候群の子の親と常時メール交換して時々新幹線に乗って数家族で集まるとあるお母さん。こういう時代に20年前のやり方では親の会の運営は難しいだろう。
2006年10月22日
プラダーウィリ症候群について書かれたすこし古い書籍を読んでいたら、プラダーウィリの人の食事の問題には厳しいムチとアメで対応すると書いてあって驚いた。もっとも避けることなのに。PWSに限らず知的障害の人たちと接したことのない著者だとすぐにわかる。
2006年10月14日
プラダーウィリ症候群の子は肥満で苦労すると言われるが、実際には外来に通院する20名のうち、肥満で困っている子は数名しかいない。さほど肥満にならない人の共通点は、おなかがすいたときにそれを母親に伝えることができる良好な親子関係がある人たち。これは前任の医師の指導の賜物であり、前任者がフォローしていたPWSの人で肥満で困っている人は1人もいない。プラダーウィリ症候群の人たちは決して食事のことで叱ってはいけない。叱ったり罰を与えたりすると食事のことがかえって頭から剥がれなくなる。そして親に言わなくなる。乳幼児期からの親子関係が大切。
2006年9月14日
毎年新しいこどもたちが100人受診するが、もうこれで診察は終了となる人はその5分の1もない。必然的に患者さんが溢れて外来の予約が3ヶ月先まで埋まってしまう。残念だけれど比較的健康な成人期のダウン症の方から診療を地元の内科でお願いすることにした。依頼先の内科医に渡す資料を作成した。
2006年9月10日
ダウン症児の合宿に参加した。ボランティアで参加している教員志望の大学生が、夜のミーティングの自由討論で、、「なぜ、こどもができないのに叱らないのか」「なぜこどもが悪戯しているのに怒らないのか」、合宿での親子を見て歯がゆくてしょうがない、、と酒の勢いも借りて熱弁をふるっていた。障害児施設にいると、親や周りの人がこどもを「しかる」「大声で怒る」ことをほとんど見ることはない。それは叱って無理矢理させたことは、結局身につかないことを十分知っているから。それは健常児も同じなはず。この人が小学校の先生になってしまうのかな、それが心配。
2006年7月14日
親の会のメンバー間のジェネレーションギャップ。年齢によって問題意識が異なるので、その対策を常に考えていないと会の存続が危うくなるのでは。20年前の設立当時のメンバーの懐古談ばかりでは若いお母さんはもの足らない。
2006年6月27日
外来の待合室のこどもたちを見ていて、「あ、この子は○○症候群だl、、」ととても頻度の少ない知的障害を伴う疾患の病名が解ることが時々ある。そんな時に、声をかけようかどうしようか迷うことがしばしば。そういう診断に関心が無い人だったら迷惑だろうなとか、すでに診ている主治医が不愉快かなとか、、いろいろ思うのです。
2006年5月17日
眼鏡かけてから本が好きになったというダウン症の子。遠くのものは見えるので生活には困らず、長い間遠視があることに気付かなかった。でも知的好奇心は身近なものの観察から芽生える。
2006年4月27日
地元の作業所に通うダウン症の20の人のお母さん。今までは、通所している本人に合わせて仕事を決めていたが、これからは仕事に合わせて動いてもらうと、施設長に言われた。自立支援法が成立してから方針が変わったそうだ。本人を理解する努力がおざなりにならなければ良いが、、と一抹の不安。
2006年4月8日
中学生以上のダウン症の人には、日曜日には何をしていますかと診察の時に尋ねることにしている。今日のある人は、絵を描くのが楽しくて休みの日にはいつも絵を描いているという。中学校の時に担任が美術の先生で、以来絵を描くことが好きになったそうだ。
2006年3月18日
家で食事の時に食べ物をつかんで投げてしまう。おもちゃも投げて壊してしまう。そういう相談で訪れた4歳のダウン症児。不思議なことに保育園ではおとなしく食事ができるという。  保育園の先生方と親に病院に来ていただいて対応を検討した。担任の保育士は、ずっと年長児を主に担当したベテランの中年の女性。子どもにプレッシャーをかけて命令してやらせるタイプ。保育園ではできるのに家ではできないのは、家での親の対応がまずいからだと主張。根拠は「保育園ではできる」から。反論できない親はただ先生の前で小さくなっていた。  春になって学年が代わり担当の保育士さんが変わって1ヶ月。自然にその子は家でも落ち着いてスプーンで食べるようになった。
2005年11月20日 
診察室を飛び出して今日は静岡のダウン症フォーラム。ダウン症の人が描いた絵が元になっているという素敵な図柄のTシャツとバッグを買って帰った。他にも絵画が多数。我々が真似できない感性を持っている。
2005年10月8日 
遺伝カウンセリング外来は、ドラマを見ているような、そのまま映画の一場面のような瞬間がある。人生の方向を決めるような状況では、やっぱりプライバシーが守られた静かな環境が必要。一般の騒がしい外来では無理。
2005年8月7日 
プラダーウィリ症候群の人を診察していて思うこと。「おかあさん、おなかすいたぁ、、、」「今日学校でこんないやなことがあってさぁ 」とお母さんの目を見て話せる関係を持っている子はたいてい太っていない。
2005年8月7日 
障害児の通う病院に勤めていつも感じるのは、大人の思い通りにならない子を「しかる」風景が全くないこと。一般の病院の外来では、待合室で多くの子どもが叱られている。障害児と接している人たちは、怒鳴って叱ってさせたことは結局は身に付かないことを知っている。
2005年6月7日 
研修医から、時に信じられない発言を聞くことがある。社会の一部には障害を持つ人に対してこういう見方をする人もあるのだと理解して、ますます自分の役割を認識するのだけど、、それにしても医師たる人が口にする言葉ではないなぁ。(何のことかわかりませんね)
2005年4月7日 
知的障害を持つ入院中の青年が、夜になると寂しくて大声でお母さんを呼んだり、扉を叩いたり。内科の先生がすぐに鎮静剤の指示を考えた。これを見ていて、あらためて自分は小児科医なんだなと感じた。寂しくて泣いたりかんしゃくを起こしたりする子どもに鎮静剤を出す発想はない。
2005年4月17日 
新学期になって、担任の先生が替わったら、トイレに行けなくなってしまい、家に帰って来るなりほっとして玄関で失敗してしまった、、とい う子の話を二人のお母さんから聞いた。
2005年2月7日 
ダウン症についての講演会でダウン症児の心と体についてお話しした。会場での質問とアンケートでの質問は、、医学的な内容はほとんど無く て、生活の中での対応のことばかり。その質問者の多くは教育関係者、、。学校の先生って、成長過程のたった一年間しか見ていないんですね、長くて数年間。 ダウン症の子を乳児期から成人に到るまで、何十人も見ている学校の先生がいるといいですね。
2005年1月27日 
「ステージで僕は輝く」とか言うタイトルの中国のダウン症を持つ男性指揮者の番組があったと友人が教えてくれました。そう、「輝く」場所 があるかないかで、ダウン症の人の生活は大きく違ってくると、いつも感じています。どんなことでも、、人から注目されて期待されて誉められるような場があ ると、、本当に違います。
2004年12月23日 
小学校4年生のダウン症の子のお母さん。同じ歳の子は学校から帰ると、カバンを放りだして夕方まで遊んでいるのに、息子の世界は家と学校 だけ。自分が家と職場以外の生活空間が全くなかったら、どのくらい息苦しいだろう、。そう考えて、子どもの好きな和太鼓のサークルに通わせ始めたら、生活 にハリが出て明る くなったそうです。そう、、学校以外に楽しみの場を!
2004年11月22日 
ダウン症の大人の方の診察。本人を目の前に年老いたお母さんとばかり話をしてしまい、なにげに心苦しい。よく聞いて理解されているのに。
2004年11月22日 
教育委員会の就学相談で、子ども本人を一度も見たことのない担当者に、不本意な学校へ行くことを勧められたと憤慨するご両親。病名 と療育手帳だけで、決めつけられたと。病名が同じでも、こどもはそれぞれです。
2004年10月12日 
保育園でも授産施設でも、、複数の所に通うのは悪くない。うまくストレスを伝えられない子どもが、環境的な事で落ち込んでいるのか、それ とも本人の問題で落ち込んでいるのかの区別がつく。
2004年9月27日 
通園施設や障害児学級へ通うダウン症の子の親から聞く悩みの一つは、周りの子どもが自閉症の子がほとんどというもの。コミュニケーション が好きなダウン症の子と、コミュニケーションが苦手な自閉症の子は、たしかにあまり合わない。学校でも多動気味の子に先生の関心が行ってしまい、おとなし いダウン症の子はあまり気にかけてもらえない。「こんなこと言っちゃ いけないんですけど、」と前置きして、その悩みを教えてくださるお母さんは少なくない。
2004年8月2日 
ある時から自宅のお風呂にはいることを拒否するようになった人。絶対に左手を使わなくなった人。シャツを必ず裏向きに着るようになった 人。特定の下着しか着なくなった人。ある時から声を出すことをやめた人。ベッドのそばに下着を畳んで積んでおかないといられなくなった人。食事を摂取する ことをやめた人。毎日カレーライスしか食べない人。一日も欠かさず尿をコップで取って量を計る人。皆十代の時は比較的活発だといわれていた人ばかり。ダウ ン症の青年期退行とも言われる心理的変化は、自分は人とは違う、自分は自分だというアイデンティティの表れのようにも感じる。たいていはその人の自尊心を 傷つけられるようなきっかけが始まりのことが多い。わかっていれば予防できたと感じることも多い。
2004年8月2日 
出産後に、無神経に投げかけられたたった一言、たった一言のために何年も苦しんでいる母親が少なくない。言葉って何だろうと思う。
2004年7月2日 
長期入院中の寝たきりの子どもがいる。家族は子どもに触れる前に念入りに手を洗い、ある医者は患者を診察した後に念入りに手を洗った。
2004年6月2日
ダウン症の人に円形脱毛の人が多いと教科書に書いてある。しかしダウン症だから脱毛が多いわけではなくて、繊細な感受性を持つ人が多く て、ストレスで脱毛になっている場合もあるのです。育毛剤じゃなくて、生活にストレスがないかかの確認を。
2004年6月2日 
じっくり考えて十分納得してからはじめてゆっくり動き出すダウン症の人たちに、性格的に自分は合っているなあと思う。
2004年5月21日 
中学校の先生がまるで幼稚園児のように話しかけるのを見てびっくりしましたとあるダウン症の子のお母さん。知的障害があっても、言葉が少 なくても、心や気持ちは年齢相当。ゆっくり話すけれど、相手は一人前の人として誠実に話してあげたい。
2004年5月15日
人は正常と異常の間に線を引きたがる。しかしこどもの発達においては正常と異常は連続したものです。連続したものをたくさん見ると境界線を 引くことの無意味さを思う。
2004年4月25日
ダウン症についての講演を何十人もの母親の前でした。一時間半の話の間に一度も「異常」という言葉を使わずに話した。でも何も不自由なく話 ができた。
2004年4月25日
今どきほとんどのダウン症の子が受ける心臓の手術をあえて受けずに、ダウン症の子が6歳で亡くなった。愛情に溢れるその家族の写真が某生命保険会社のコマーシャルに使われて話題になって本にもなって、テレビドラマにもなった。でも、ダウン症だから、、と心臓の手術を受けさせずに治る病気も治さない風潮ができてしまわないか、それが心配とダウン症の会のお母さんたち。まさか保険会社はそれを狙っているんじゃ無いでしょうが。
2004年4月5日
ダウン症の子に、将来のために野菜が好きになると良いと以前はお話していましたが、、実はダウン症の子は、生野菜が食べにくいのです。あごが小さくて舌が大きめで口の中の容積が小さいために、口の中にものをため置いて奥歯でかみつぶすことが苦手なのです。大きなレタスの葉よりコールスローのような刻んだ野菜の方がずっと食べやすいのです。
2004年1月18日
20歳になるダウン症のAさん、今日はネクタイを締めて外来を受診。成人式で初めて着たスーツがことのほか気に入ったそうな。成人式で読み上げた文章も持ってきてくれた。1年前に職場での上司の無理解な一言から突然家から一歩も出られなくなったAさん、作業所の先生が根気よく家庭訪問してくれて最近は週に一度は通えるようになった。成人式をきっかけにまた一段と成長した。
2004年1月25日
赤ちゃんの染色体検査の診断結果を母親に隠して父親だけに話す小児科医がいまだにいる。それも結構な大病院で。ちょっと憤慨.。
2004年1月18日
学校の話題が多くて学校の先生方には申し訳ありません。でも診察中に親から出る話題は学校のことがとても多いのです。学校以外の世界の少 ない知的障害の子たちにとって、学校の比重はことのほか大きいのです。
2004年1月18日
小学校の「交流学級」でこどもたちが交流しているという話をあまり聞かない。40分のお客さんをやって帰ってくる、、、先生の自己満足か もしれない。
2003年11月18日
20歳を超えて生き生きとしているダウン症の人に共通するのは、自分が主役になってやれる事があること。
2003年11月18日
小学校でも幼稚園でも病院でも複数の所に通うことのメリットは大きい。何かうまくゆかないときに、それが本人のせいなのか環境のせいなのか が分かるので対応もしやすい。
2003年10月18日
運動会はどうでしたか?  全部の種目に出してもらって喜んでいましたというお母さん。練習は出たけれど、本番では全部の競技で見学だけと言われて寂しく過ごした、、という幼稚園の男の子。二人ともほぼ同じ成長発達の子だけれど、保育園や幼稚園の対応によって様々です。二人とも本当は全部参加したいはず。
2003年9月18日
知的障害者の成人の男性が眼疾患のために失明して来院。言葉を持たない彼は目が見えにくくなっていたことを人に伝えることができず、対応 が遅れたようだ。知的障害者の健康診断は通常の内科検診では不十分、彼らを理解した検診体制が必要。
2003年9月18日
運動会の季節です。本当は練習にも一緒に参加したいけど、ちょっと心配で一回目は参加できない子。1回目を見ていたらちょっとできるよう な気がして、2回目からは少し参加できる。3回目はもっと参加できる。2回目の時に「前回やる気がなかったからずっと見学してなさい!」と言われてしまう と、悲しくなって落ち込んでしまう。今年もどんな話が聞けるか楽しみ。
2003年9月8日
中学生になったら、何をするときも本人と相談して本人が納得して決める。学校の選択でも、夏休みの旅行でも。これがダウン症の人にはとても大切だと思う。
2003年8月28日
ダウン症の兄を持つ女性がフィアンセを連れて遺伝カウンセリングに訪れた。フィアンセに兄のことを正しく理解してもらうためにダウン症について相手にわかりやすく説明して欲しいと。こういう利用のしかたも歓迎です。
2003年8月18日
「冗談が言えること」と「いやなことを表現できること」。思春期の落ち込みの予防に大切なことだと思う。
2003年8月18日
受診希望の問い合わせ一件。地元の総合病院に定期的に通って検査をしている5歳の子。多動傾向があって待合室のモノや他の子の点滴をさわるので、スタッフや他の子のお母さんに叱られてばかりいて、お母さんも気まずい思いをしているからと。そこも小児センターを謳っている所なのに。
2003年8月18日
今日の外来はプラダーウィリ症候群のこどもが3人とヌーナン症候群の子が一人とダウン症候群の子が10人くらい。
2003年8月17日
あるお母さんの話。「こどもに関係する職業人って長く勤めているからこどもの心が解るって言うわけでもないんですね」と。 ちょっと意味深。
2003年8月15日
高校まで比較的順調に過ごしたダウン症の人が、就職後の同僚の不適切な対応で全くしゃべらなくなった、性格が一変した、退行がひどくなっ たという相談が毎月のようにある。それまで快活な明るい子が多いので、その変化に家族は戸惑ってしまう。珍しくないダウン症の人の心因反応。本人の性格を考慮した就職先選びや周りの人の協力 で予防可能だと思う。
2003年7月28日
ドライブ途中で信号待ちをしていたら、横断歩道を歩いていた20歳くらいの知的障害の女性が私に手を振ってくれた。嬉しくなって手を振り 返したら、一緒に歩いていたお母さんが深く頭を下げてくださった。
2003年7月2日
ダウン症の子は、小学校に入る頃から独り言が増えてくる。どんな世界を空想しているのだろうといつも気になるけれど、多くの子はその世界 を自分だけの大切なものにしている。
2003年6月16日
不確かな知識と情報による2例。赤ちゃんの時に、20歳まで生きられないよと何の根拠もなく医師から言われた子が20歳になって、まだ元 気ですがいつ悪くなるのでしょうか、、と受診した。伴性劣性遺伝病だから原因は母親から来ていると責められて離婚された母とその子。調べたら親からの由来 ではなかった。
 話は変わるが、ダウン症の原因となる配偶子の染色体不分離は、男性側にも女性側にも起こるのであるが、女性側でのみ起こっているように誤解している人も 少なくない。
2003年6月16日
今日の外来診察は、下は0歳、上は30歳。赤 ちゃんから青年期まで幅広い年齢の子どもに同時に関わるのは、小児科医や児童相談所関係など、、意外に少ない。年齢で輪切りにした子どもの集団だと、どう しても1年間で結果を出したくなって「成長 を見守る」より、「しっかり教え込む」になりやすい。子どもも大変。
2003年6月16日
保育園の保育士さんから、通園するこどもの病気のことでの質問の電話はしばしば受けるけれど、小学校になると学校の先生から電話を受ける ことは皆無である。なぜだろう。
2003年5月26日
企業城下町の某市で保育園や幼稚園の民営化が急ピッチ。障害児と健常児の共学に妨げにならなければと思う。短期的な経済効率からは分離し た方がスタッフは少なくて済むという。
2003年5月16日
障害児の保育園や学校での受け入れは、自治体によって差が大きい。てんかんがあることを理由に、公立保育園を断られた4歳児。仕方なく私 立に入れましたとあるお母さん。その市では少しでもてんかんのある子は、薬で十分コントロールされていても公立保育園には入れないそうな。信じられないよ うなこと が今でも時々起こっている。
2003年5月16日
昨年の5月から円形脱毛が始まったダウン症の中学生の女の子。学校の先生にダウン症の人の心理的特性をお話して対応を工夫していただいた ら、1年後に脱毛が消えた。円形脱毛が治ったダウン症の子は珍しい。
2003年5月16日
普通学級に通うK症候群の中学生が、同級生のいじめにあって不登校になった。親が先生に相談に行ったところ、「一人だけ特別扱いはできま せん」と言われたと、病院に相談に来られた。特別扱いをお願いしたんじゃない、いじめのない普通の学校生活を希望しただけなのにとその子のお母さん。。
2003.5.12
 知的障害を伴うある疾患の親の会が2つある。一つは、すこしでも健常のレベルに近づけようと競い合う人たちの集まり。ひとつは、ありの ま まのこどもを受け入れてこどもの目線で成長を共に喜ぶ人々。
 【後日記】この文章を読んで、「やる気の無い親の集まりではダメってことですね」と言った研修医がいた。ありのままの姿を受け入れるのが出発点だという 主旨を理解されないのが悲しい。子どもの成長を喜ぶことが全ての始まり。
 【後後日記】前者の親の会の集まりに行ってきた。障害を「治す」話ばかり。知的障害の軽い子は誉められて、障害の重い子の親はなんとなく居づらい。知的障害を認めることが「敗北」のようなこの団体。会員の親さん方はみんな肩に力が入って終始険しい顔をしてい て、子どもを叱ってばかりいる。
2003.5.12
ダウン症の子を持つご両親の離婚率は、一般集団よりも低いのではないでしょうか。正確な統計は知りませんが。これが多くの他の疾患だと一 般の平均よりも高い。自分なりにその理由を感じてはいる。
2003.3.31
 知的障害児学級に通うある小学生1年生のお母さんが、学年末の通知票を持ってきて見せてくださった。細かい字で枠一杯にぎっしりと書か れた通知票からは、毎日先生が子どもをよく見ている様子や、長所をとらえて子どもを優しく見守っている様子が、胸が熱くなるくらいに感じ取られた。わざわ ざ持ってきて見せてくださったお母さんの気持ちも、何も言われなくてもよく解った。
2003年1月20日
ダウン症の子は知能指数から予測されるよりも感受性が豊かで広い内的世界がある。発達心理検査でそういう面を評価する尺度はないかと臨床 心理士の方に相談したら、自分たちも人によって内的世界の広さはさまざまだけど、検査で分かるものじゃないと言われた。なるほど。
2003年1月20日
 初回の診察時に、ご両親が小学生のときにダウン症の子がクラスにいたかどうかを尋ねています。一緒に過ごした経験のあ るお母さんお父さんは、将来への不安が少なくてお子さんの受け入れが良好だと感じます。いろいろなこどもたちが同じクラスにいることの意義をここにも感じ る。
2001年11月20日
ダウン症の人はダウン症の人どうしだとウマが合うようです。多くのダウン症の親の会は赤ちゃんが対象ですが、学校を卒業するころもダウン 症の人たちが大勢集まることができるグループが欲しい。
2002年9月20日
 ある特殊な団体で療育をやっている子。そこで勧められたリハビリ手技は一日に100回以上やらないと効果はないので、保育園に入れる暇 はないそうだ。その団体では効果がないのは親の熱心さが足らないからと言われるそうです。講習会でビデオを見るだけで何万円。障害を持つ子の家族に寄って くる宗教や団体は少なくないが、保育園や幼稚園まで否定するのには驚いた。
2002年8月30日
障害児施設の中にある私の病院の遺伝カウンセリング外来。出生前診断の相談の方の中で、待合室にいるこどもたちを見て、「思いを新たにし た」「ここに来てよかった」とおっしゃるクライアントの方が少なくない。
2002年7月31日
 多動で1分と席に座ることが出来なくて、クラスでいつも叱られていた子。新しい担任の先生が、運動会でその子に応援団長をやらせたら、 クラスは盛り上がってその子は人気者、夜尿症も治ったという。
2002年7月5日
あるこどものお父さん。生まれた病院の医師の説明を思いだすたびに腹が立つとおっしゃる。
2002年6月25日
ダウン症の子の多くは保育園で人気者で、世話好きな女の子が何人も寄ってきて遊んでいます。このまま同じクラスメートでずっとずっと小学 校、中学校までいっしょに過ごしたらどうなるのかな、、と思う。
2002年6月13日
叱らずに誉めて育てる方針で感受性豊かに育った子が、就職後に粗暴な上司に大声で叱られたことがこたえて、言葉も失って引きこもってし まった、、という話を聞いて、ちょっと考えてしまった。
2002年6月5日
「私の考えで子どもには予防接種はいっさい受けさせません」、と言う母親。これって児童虐待の一つに分類されるのでしょうか、、。
後日記:「そのお母さん。私の考えで子どもは保育園にも療育にも通わせません」。いろいろ尋ねてみると、背後にそうさせている団体があった。その団体の集まりには何十万というお金を払って参加して主催者のビデオを何万円で買うそうな。
2002年5月15日
コルネリアデランゲ症候群の子の初診で。今までどの病院に行っても眉毛の特徴のことばかり説明されて、明日からの生活に必要なこと、将来 のこと、学校のことなど、知りたいことは何一つ話してもらえなかったとお母さん。
2002年4月5日
小学校で学年が変わって担任が替わったのを契機に、一切しゃべらなくなってしまったダウン症児。周りの人がいろいろ努力したけれど、転校 したらすべてが好転した。「オレが治してやる」的な熱血漢の男の先生でした。
2002年4月5日
最近腹の立ったこと。生徒への体罰と暴力で地域で問題になった小学校の先生が、いきなり経験のない障害児学級の担任になったこと。いった い誰に対するどのような配慮だろうか。
2002年3月25日
 体質的に肥満になりやすい、、とされているPW症候群。でもこどもたちを診ていると、必ずしもその疾患のために太るわけではなくて、自 分の意志を伝える言葉を持たない彼らのストレスが、過食にさせているのではと感じることもある。それなら彼らの伝えたいことをわかってあげることが、食事 制限よりもたいせつなな肥満対策であろう。教科書の「○○症候群は肥満になりやすい」という一文も考え直す必要があるかもしれない。
2002年2月5日
 自分が小学生の頃、通学路の近くにTちゃんという知的障害の青年が住んでいた。いつも同じ言葉を繰り返し小声で言いながら歩いていた。 ほとんどの小学生はTちゃんと話をしたこともない。こどもたちはすれ違うときに、なぜか心が緊張した。こどもたちはなるべく視線が合わないようにして足早 に過ぎ去った。Tちゃんはいつも首に定期券をぶら下げて歩いていた。電車に乗ってどこかへ仕事に通っていたようだ。
 ある時、高学年の男子生徒が集団でTちゃんをからかった。ある生徒がTちゃんに向かって石を投げた。Tちゃんは怒った。Tちゃんは子ど も たちを追いかけた。こどもたちは笑って逃げ回った。
 翌日、その男子生徒たちはTちゃんに追いかけられたことを担任教師に話した。すぐに学校で問題になり、 校長はTちゃんの親に電話を入れた。
 翌々日Tちゃんは母親と一緒に、自分が追いかけた子どもの家を菓子折を持って一軒一軒謝って廻った。学校では、「ああいう人」には声を かけたりしないように、と先生から生徒に訓話があった。通学団のこどもたちは以前よりももっとTちゃんを遠巻きにするようになった。何百回も通学路ですれ 違った私も一度もTちゃんと話をした記憶がない。
 
2002年1月5日
自分の好きな外来診療は、、広いじゅうたんの上でする外来診察。靴を脱いで、子どもはじゅうたんのうえで自由に遊んだりすわったりして、 普段どおりの行動を見せてくれる。
2001年11月5日
20歳、40歳のダウン症の人を診ていると、20年前、40年前の障害児に対する育てかたと当時の世間の理解の中で育ってきたことを感じる。
2001年10月5日
ダウン症の成人期の「退行」という言葉があるが、一般的に成人の変性疾患などでいう退行とは異なるように感じる。少なくとも、かならず きっかけがあることは、退行というより「反応」であろう。「退行」という言葉のせいで、年齢による不可抗力のように思われてしまい、環境や人間関係などの 適切な対応がおろそかになっているような気がする。
 
 ※私の外来の患者さんは、6割がダウン症候群の方(乳児〜40歳)、2割が他の染色体の疾患のある子ども、1割が他の症候群や原因不明の疾患の方で、ほぼ全員が知的障害を持つこどもたちです(大人も います)。
 
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小児科医の伝言板 古い外来雑感
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